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PEGを味方にすれば、町医者は病院に負けない!
ローテク在宅医療が尊い

小川医院 院長

小川 滋彦

開業医復権、町医者復権の時代である。 そして、その根拠となる医療技術上の革命が、経皮内視鏡的胃瘻造設術(Percutaneous Endoscopic Gastrostomy、以下PEG)なのである。

●大病院と町医者の差は“栄養療法”だった

  ここ20年あまり、町医者は病院と比較され馬鹿にされ続けてきた。なぜか?高度先進医療を追い続ける病院に対して、町医者は不勉強で、保守的で、高齢化し、そして排他的でありすぎたのか? 否。決してそんなことはなかった。むしろ、人を人として扱い、じっくりと悩める人々の話に耳を傾けてきたはずだ。にもかかわらず、世の人々の大病院志向は止まることを知らなかった。

  私は5年前まで病院勤務医であった。その時、しばしば末期的状況の高齢者が救急搬送されてきた。その多くは、近隣の開業医の往診を受けていながら、その了解を得ることもなく、衰弱していく親の姿に耐え切れず、苦渋の判断をして救急車を呼んだものと思われるケースであった。救急搬送を受けた側としては、それなりの治療を求められて来たのだから、年齢やそれ以前のいきさつにかかわらず、とにかく入院の上、しかるべき治療に取りかからなければならない。彼らは、しばしば脱水状態であり、栄養不良であった。血管確保をし、末梢静脈点滴あるいは中心静脈栄養をすると、そういった症例は数日すると立ちどころに元気になって、時には歩き出す者もいた。家族からは感謝の言葉をかけられる一方で、もとの往診医への不信に満ちた言葉も聞かざるを得なかった。

  私は当時、病院の医者であることに誇りを感ずるとともに、いったい開業医は何をしているのだ、こんなことだから「開業医ばなれ」「大病院志向」になるのだ、と生意気にも思った。 今考えてみれば、いろいろ事情はあったのだろう。患者本人は病院へ行くことなど望まなかったかもしれないし、介護者であるお嫁さんが何年も自宅で看てきた最期であったのかもしれない。往診する開業医とのちょっとした行き違いの結果、救急車を呼んでしまったのだろう。
 ただそれにしても、ターミナルだと言われていた患者が、ちょっと栄養を良くしただけで元気に歩き出すのでは、やはり開業医としては恰好悪いことだな、とは思う。

●ハイテク在宅」では一般の人々にソッポを向かれる 
 結局、病院と町医者との決定的な差は「栄養療法」だったのだ。大病院において中心静脈栄養療法が一般的になるにつれ、どのような状態の患者でも取りあえずは元気になるという信用を生み出していたのに対し、町医者は「口から食べられなくなったら寿命なのだから…」と、栄養療法を真剣に考えることもなく、せいぜい末梢静脈点滴に通うのが関の山で、望むと望むまいとターミナルケアになっていた。
 それでは、中心静脈栄養は町医者にも簡単に扱えるものかというと、入院においてすら高頻度で発生するカテーテル敗血症、在宅で滅菌操作するわずらわしさ等、最初から24時間体制で臨むことが要求される非常にストイックで困難な手技である。

  経鼻胃管による経腸栄養療法については、病院の医者は管を引き抜かれてもナースにちょっと頼んで入れ直してもらえるかもしれないが、往診医者は何があってもまず呼ばれるのは自分なのだから、トラブルの多い方法はそもそもやれるとは思わない。一部には、非常に扱いにくいものをだましすかして扱うことを「ハイテク在宅」と称して、自画自賛している人々がいるようだが、それはいわば趣味の域を脱していない。病院医療がそのまま引越したような重装備の医療を押し付けようとすれば、一般の人々にはいずれソッポを向かれよう。

●在宅では「ローテク」が正しい 
 ところがPEGはまったくシンプルで扱いやすく、鈴木裕氏の言葉を借りればこれこそ良い意味で「ローテク医療」と言える。昨今の医療ミスに対するマスコミの騒ぎ方は、あたかも医療者の精神修行が足らない、教育が足らない、といった論調がかいま見えるが、それでは医療のシロウトである家族にその管理の大半を任せてしまう在宅医療はいったいどうなるのだ。ちょっとくらい大雑把にやったとしても大きな間違いが生じない安全域の広い方法、たとえ“心のたるんだ人や教育レベルの高くない人”でも扱える方法を、少なくとも在宅の現場では採用する必要がある。同じ効果が得られるのなら、「ハイテク」よりも「ローテク」が尊いのである。

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