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特別寄稿

家庭が一番~私の介護日誌 <胃ろう造設後の介護>


東京都世田谷区野田 久人さん


はじめに
2000年4月1日に介護保険制度がスタートしましたが、この制度は家族が担ってきた介護を社会全体で支え合うということは言うまでもありません。
  特に高齢化社会が現実のものになってくることは、要介護人口の急激な増加を意味しているわけであります。

  このような中で、国の施策による従来の措置制度の対応では国の財政負担が耐えられなくなることから、現在の在宅介護を重点とした保険制度が導入されたものと思います。
ところが、在宅介護は具体的にどのように行われているのか、また、要介護者、介護者双方にとって最も望ましい介護はどのようなものか等、現在その情報が必ずしも十分ではない様に思われます。

  そこで、妻の胃瘻造設後の在宅における介護の実態はどのようなものであるか、一つの事例として、これから介護をされるご家族や、すでに介護されている方々に少しでも参考になることがあればと思い、私のささやかな介護体験を日誌風にとりまとめてみました。

1. 妻(65歳)の病状と病歴

 (1)病 状

病名アルツハイマー病、パーキンソン様症候群
体重37kg (2001年11月)   (41.5kg 2005年7月)
症状寝たきりで声も出ず、手足が拘縮している
 

意識はかすかにあるらしく、時折、私や長女に対する表情の変化がみられる

 →殆どみられない

体調栄養状態が良いため安定しているが、昨年夏頃から強弱のケイレンを起こすようになった

 (2)病 歴

平成2年9月
(当時54歳)
大腸ガン手術後、物忘れが始まり、その後顕著に病状が進行し、電話の対応などが出来なくなる。
平成6年1月アルツハイマー病と診断された。
平成9年5月特養ホームへ入所、約2年後に寝たきりの状態となった
平成12年6月脱水症・腸炎を発症し入院。入院中も病状はさらに進行し、口から食べられなくなり、声も全く出せなくなる。
胃瘻造設のため東京慈恵会医科大学附属病院に転院(特養ホーム退所)。
平成12年7月

退院後自宅で介護することになったが、昼間は軽度のケイレンが断続的に発生するようになった。
その後、連日のように深夜、身体全体を揺する強いケイレンの発作(今のところ1回のみで約30分で治まる)が起きるようになる。

→薬の投与により強いケイレンは発生していない

平成13年11月

肺炎と脱水症のため入院。
原因は素人判断ですが、次の理由により水分不足が発生したものと思われる。
(脱水症)
便秘薬がラキソベロンであったため、水溶性の便であったこと(胃ろうの栄養補給では、水溶性の便と過信していた)。
(肺炎)
水分不足により体温上昇が継続していたこと(38℃を超える高熱が3日間継続していたこと)。

2.在宅介護を選んだ理由

(1)私(夫)が仕事を辞めていたことと、概ね健康であったこと
したがって、24時間1対1に近い介護ができるようになった
(2) 同居している長女の協力が得られたこと
介護サービスを利用しても、介護者の通院等を考えると1人での介護では自由時間がなく限界があると思われる。こういう時、長女が交替してくれるので、安心して出かけられる
(3)施設での介護の限界を知ったこと

 妻が特養ホームに入所中、私は3年余りの間、朝・晩主に食事介助などを手伝っていたが、その実情からは、施設における質の高い介護はどうしても無理があると思った。その理由は介護職員の体制にある。

  現在の体制は入所者3人に対し介護職員は1人の割合であり、一見適正な数値のようだが、実際には1日24時間の介護に対し、職員の労働時間は8時間であり、かつ休日・休暇等を勘案すると、昼間は7~8人に対し1人、夜間は20人に対し1人の勤務割を組まなければならない状況である。

このような体制・人数で
A朝・夕の着衣の着脱介助 
B食事の介助(食堂での配・下膳、車椅子での移動介助を含む) 
C排泄介助 
D 体位変換 
E 便で汚れた衣類の下洗い 
F 食器等の下洗い 
G 入れ歯の洗浄
H 入浴介助 
I シーツ交換 
多彩な行事(誕生会・趣味の会など)の準備などの仕事をこなすには、介護職員が懸命に努力しても限界がある。

同様なことは病院についても言えるのではないだろうか。

 (4)心のケアは家庭が一番、と考えたこと。
妻には、一方的ではあるが、語りかけたり昔話を聞かせたり、声が出なくなる直前まで好んで歌っていた童謡などを歌ってあげることができる。
  また、好きだったテレビ(3チャンネルの子供番組)や童謡などのCDを聞かせることもできる。
このような心のケアを誰にも気がねすることなく出来るのは、在宅ならではだと思っている。
 (5) PEGのおかげで介護の負担が軽減されたこと。


 




  介護の中で最も大変なのが食事介助であった。

  下の世話は手順に従ってこなしていけばほどなく終わるが、妻が誤嚥しないように食事をさせ、必要な栄養量を確保するためには、1日中食事に付き合っているようなものだった。
経鼻チューブによる栄養も、妻の苦痛や衛生上のことを思うと自信が無かった。
  それが胃瘻を造設したことで、食事は栄養剤のチューブを胃瘻に接続するだけという簡単な操作に変わり、介護者の心身の負担は大幅に軽減された。
在宅介護が可能になったのも、「PEG」という新しい医療のおかげだと考えている。

   ※ 妻が胃瘻による栄養補給法に至るまでの経過は、「患者・家族体験記~妻のPEGとの出会い~」に掲載されています。


3. 介護者家族と介護の分担 

   住環境:長女の家族と二世帯住宅。生活は分離。
妻の居室は居間(洋間)。 

  (1) 私の家族:
要介護者の妻(65歳)と主たる介護者である私(夫: 66歳)の2人。
     私の分担:
     毎週水曜日と木曜日の昼間の自由時間を除き、毎日24時間に近い介護。
     妻の居室の隣室で就寝し、毎日深夜3時30分頃の点検(体位変換、オムツ交換、吸引)をしている。

  (2) 長女の家族:
     長女と夫の2人。
     長女の分担:
     毎週水曜日と木曜日の昼間。また、私の旅行時。
妻はよく汗をかくので、毎日深夜の1時30分頃、部屋の温度と着衣の点検をしている。
        → 汗が出ないようになったため点検はしていない。