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食べられることは最高のリハビリ


池田 暁(夫)札幌市在住

池田 暁さん 札幌市在住

脳に障害を受けてしまった

平成15年3月、妻は自宅にいて倒れ、それ以来2年がすぎました。
妻は1人でいたのですが、私の携帯電話に「何かフワフワして気持ち悪い」と異常を知らせてきました。

最初の脳神経外科病院

最初に運ばれた病院での診断は、「脳幹出血で意識が戻るかどうか判らない」との宣告でした。私は訳もなく泣けてきて仕方がありませんでした。

しかし、近代医療のお陰で、意識が有ることが判りました。点滴もとれて、経鼻胃管栄養になりました。右半身に麻痺は残るが、食事を取れるまでになりました。

只、摂食・嚥下部分の麻痺が有り、3度の誤嚥性肺炎を繰り返し、栄養は経鼻胃管を余儀なくされました。つまり口からの食事は厳禁でした。でも私は「死んでも口から食べたい」と言う妻の意欲を信じていました。

先生に何度も説明を求めましたが、「誤嚥性肺炎を引き起こすから」といつも同じ答えでした。

しかし、どうしても納得できない私達は近くの公園に外出した折りとか自宅に戻った際に、病院ではサンルームで隠れるようにビクビクしながら“口からゼリーを食べる事”を続けていました。

私 「何の味だい?」
妻 「オレンジ味」
私 「おいしいかい?」
妻 「おいしい、おいしい」

幸運にも味覚はまだ残っていたのです。

リハビリ目的で療養型病院に転院

病院でのリハビリはOT・PT・STとまめに受けていましたが、現状維持がやっとでした。嚥下についてのSTの判断は「顔面と小脳の運動機能にも麻痺が有るので誤嚥の可能性が大きい、又左手の機能もベッドサイドを掴める程度で寝返りは出来なく、おぼつかない様子」でした。

要介護度「5」で常時介護の必要状態です。1日の内リハビリ以外はベッドに寝ていると、身体のあちこちに障害が起きてくるのは当然の成り行きでした。又、夜寝付けなく、眠剤を飲んでいました。眠剤を飲むとよく眠れるのではありますが、効き過ぎて日中でも“トロトロ”することがよくありました。

妻は段々と弱り、車椅子に乗るのさえ嫌がりました。又、身体的には喉の奥に常時痰が溜まり、日に何度もサクションをして頂きました。内科的には膀胱出血を繰り返しました(べっドに寝てばかりなので、膀胱内でカルシウムが固まり、膀胱壁を傷つけた為と先生から説明を受けました)。この時、先生からヒントを得ました。つまり、寝てばかりだと外見だけでなく、身体の中でも障害が発生しているということなのです。 「ベッドより→車椅子→立って歩く」 この方程式は私の頭の中に何時も点滅しているサインなのです。

妻は段々とリハビリも休みがちになり、この状態での回復は見込めないと思い、昨年2月、先生に健康補助食品(βーグルカン)の摂取例を話した上で、飲ませて頂きたいと依頼しました。

先生からは病院で処方されている薬との関係で副作用等の確認が必要でした。又、良いとしても、飲ませることにより障害が起きた場合は、自己責任を言い渡されました。

それでも、私は情報を信じ、健康食品会社にFAXを送り確認しました。上記会社社長の素早い対応にも助けられ、病院で飲ませる事が出来ました(鼻経胃管栄養なので病院の協力は不可欠でした)。その際、先生からは現在処方している「パーキンソンの薬を減らす」と方針をお話し頂きました。

最初は1日1袋、2週目は2袋と鼻経胃管から入れて頂きました。3週目に入り、先生の判断は「全然効き目が無いね」でした。

私は、社長からの返信が1日3袋から6袋と書いてあるのを信じ、1日6袋飲ませて欲しいと依頼しました。

大変驚いたことに、目立った変化が現れてきました。まず顔色が良くなり、言葉は聞き取れないが、“あ い う え お 表”での意志の疎通が出来るようになってきました。又、車椅子も乗れるまでに回復しました。暫く中止していた“ゼリーを食べる事”を再開したのもこの頃です。

私達は“どの様にして回復したか”ではなく、“結果として回復すれば何でもよい”のであります。

本当に皆様に助けられたし、お世話になったと感謝しております。

平成16年の夏は、北海道でも暑かったです。病院での生活では、土曜・日曜はリハビリはお休みです。看護のスタッフも少なく、刺激の少ない日々でした。

以前、妻は自然を歩くのが好きで、近郊の手稲山とか藻岩山をよく歩いていました。そこで気分転換を兼ね、近くの公園に外出しました。5月はチューリップ、6月はライラックやアジサイ、夏になるとバラの時期、秋は紅葉の季節です。花の香りや小鳥のさえずりなど、自然の恵みをドンドン刺激として取り込みました。移動には主にタクシーを利用しましたが、地下鉄も乗車してみました。最初は人の視線が気になり嫌がったのですが、妻が障害を負っている事を本人に認識させるには良い機会でした。

こんな事で妻の頭は働き始め、自分から外出を希望したのもこの頃でした。

丁度その頃、将来の栄養の摂取方法で胃瘻を先生から提案されました。しかし、妻は若い頃胃潰瘍で胃を1/3切除していました。病院での内視鏡検査が行われ、胃瘻は難しく、腸瘻を提案されましたが、全身麻痺や手術の方法で妻は嫌がり、腸瘻を造るのは中止しました。

今、高齢化社会が進み家族の介護者が多くなり、家庭環境にも影響を及ぼしています。各家庭にはそれぞれ差は有りますが悩みは同じだと思い、私は自宅介護の方と積極的に連絡を取っておりました。

西区の岩崎さんをお訪ねしたのもその頃でした。御主人の介護ですが、嚥下や介護の事では色々と研究されていたのには感激しました。又、彼女から家族に要介護者がいる場合の考え方等、今でも教えを頂いております。私が曲がりなりにも介護食に関心を持ち、自分でも実践し始めたのは岩崎さんの影響が多くありました。

昨年、札幌で開催された「HEQ研究会」を紹介頂いたのも岩崎さんでした。内容は胃瘻についての発表で、妻は胃瘻を造っていないので、私にとっては余り関心がありませんでした。しかし、この会で札幌S病院のY先生にお会い出来たのが幸運でした。

妻の病状を説明し、「なんとしても口から食べさせたい、まだまだ54歳なのです」と話をしました。Y先生は「脳障害でも意識が有れば可能性はある」と話して頂きました。妻にもまだまだ希望が持てると思いました。

妻が、残された生涯を口からの食事が出来ないで過ごすのは、いかにも心残りです。

摂食・嚥下機能を確認する為に転院

妻は、昨年11月に前述のY先生頼って、現在も入院しております札幌S病院に転院しました。

ここでも、リハビリテーション科のN先生に診て頂き有り難かったです。先生の見立ては親切で、細かな所まで心配りを頂き、妻も私達も大きな安堵を覚えました。

● N先生の診断 : 鼻経胃管はすぐ外し、口からゼリーを食べさせてくれました。形状に依り嚥下に違いがあることが判りました。ゼリー状の食べ物であればすんなりと食道に入っていき、水分は咽せて難しい事が、X線画像で確認する事が出来ました。

口からの摂食が出来るようになって、会話も出来るようになりました。車椅子も左手左足で操作し、病院内をクルージングしております。又、妻の好きなテレビをサンルームでよく見たり、機能が回復してきました。何よりも以前はよく「早く死にたい」とか「これが現実なの」と私達を困らせていたのですが、口から食べるようになり、多くの情報を取り入れる事が出来る様になり、妻の気持ちも前向きに変わっていきました。

今では食事はミキサー食を食べられるまでになりました。つまり栄養は、ほぼ100%、口から摂取しております。只、水分だけは今でも難しく、脱水症状になるため、別な口が必要になりました。丁寧に説明をして頂いたY先生を信じて1月中旬に食道瘻を造って頂きました。

最近では、時々外泊が出来るまでになりました。家族の状況で、今も病院にお世話になっていますが、将来は何が私達家族にとって良い選択なのか、1つ1つ確認していきたいと思います。

● Y先生からの説明 : 嚥下障害の確認をする(口から食べられるのか、食べられないのか)、長期的な栄養をどうするか(胃瘻は難しい、腸瘻と食道瘻とが有る、先生からは妻には食道瘻が良いと図に描いて説明を受けました)。

● その後の経緯 : 2ヶ月過ぎましたが、最初は患部がジクジクして、痒いと訴えていたのですが、現在は患部も安定しています。首にバンダナを巻き、テープで止めているのですが、管が抜けてくるので注意が必要だと思います。車椅子に乗ったり、食べたりするので仕方がないのかと思います。

今思うこと

沢山の高齢者や、若い人でも交通事故や生活習慣病で苦しんでいます。

私達家族が学んだ事は、出会い(情報)が大変大切だと言うことです。人との出会い、商品との出会い、又、病院の先生に会えたのも大きな出会いだと思います。

本人の意欲と良い先生、良い環境のトライアングルが有ると、良い結果が得ることが出来ると信じております。
病人が家族にいるということは、介護する家族にとっても大きなストレスなのです。永年、自宅で奥さんを介護をしている人からはこんな教訓を頂きました。

「まず第一に介護をする人の健康ですよ、病人はその次だよ」

なるほど当たっていると思いました。

妻がここまで辿り着けたのも、私達に係わって頂いた皆様のお陰です。まだまだ旅は続きます。健康な人はそれなりに、病気になってしまったら前を向いて歩こうと思います。

私達のつたない体験(現在も体験中です)が1人でも多くの人のお役に立つことが出来れば幸いです。

平成17年3月

施術者:池田 曜子(54歳)
脳幹出血により右半身麻痺
座位保持困難な体幹機能障害
歩行障害・嚥下障害・眼震等
食道瘻:2年6ヶ月

筆者:池田 暁(夫) 札幌市在住