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NHK ETV特集 あなたはどう考えますか?2
―食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪―

ご本人に代わって胃瘻を選択されたご家族、されなかったご家族、胃ろうを造るべきかどうかを医師らと話し合った末に選択されたご家族、それぞれの揺れる思いが番組では紹介されました。まずは、同じご家族の立場からのご意見を。

胃ろうの本質と医療の生命尊厳問題は別

藤沢市湘南台在住 清水 耕司

はじめまして。私は、神奈川県藤沢市湘南台在住の在宅介護の父(80歳、要介護5)の介護家族(1人)です。男性45歳独身です。在宅介護のために仕事を辞め(たまのアルバイトはしています。)介護生活へ移って11か月です。

父は昨年6月に重度の脳梗塞で右半身麻痺、嚥下障害で胃ろうという流れです。
失語症もありますが徐々に解消されてきています。思考能力は発症当初から見ると相当に回復し、普通に判断できる状態に戻ってきています。他に入院中に血便が見つかり運よく上行結腸癌のステージⅡで切除手術もして現在転移なしという容体です。市民病院の神経内科と消化器外科にそれぞれの主治医をもち、別にかかりつけ訪問診療医に月2回見てもらい、血液検査も在宅でやってもらって3か月に一度神経内科、半年に一度消化器外科と市民病院に通院しています。
介護サービスの範囲で訪問診療と同じグループ内の訪問看護ステーションに、平日5日間一時間の看護に入ってもらっています。胃ろう回りのケアと排便・褥瘡管理、手足の簡易のリハビリと嚥下訓練等です。
訪問医、訪問看護に対しては、市民病院主治医からすべて診療情報提供書と看護指示書を随時出してもらい、連携を密にしております。

昨年7月中旬に胃ろう造設、その後内視鏡検査で結腸癌確定診断。緊急入院時にすでに不整脈も診断され、その為に8月23日の切除手術まで、脳梗塞での神経内科から消化器内科に転科し、心臓から何から検査しなおし、最終的に心カテを循環器でやってもらい、手術okの判断をもらい、外科に転科後手術し9月9日退院と言う流れから在宅介護に入りました。

胃ろうは癌の手術もあり、当初1500kcalからスタートしました。

在宅になってからも当初2か月はそのままで維持し、その後体重が増えてきたということもあり、少しずつ減らしていき、1100kcalキープで落ち着きました。その後、嚥下リハビリ訓練等もあり、体の力もついてきたみたいで、口からまず水分がとろみなしで飲めるようになりました。それと並行して、サトイモや柔らかめのジャガイモ等が口から食べられるようになりました。
またパン類も今は食べられます。呑み込めないのは、噛み砕いて最終的に細かい粒になるものは無理みたいです。なので、ご飯も、介護用柔らかご飯を使用をしています。
現状では1日3回の注入、朝340、昼120、夜340の計800kcalをラコールで経管栄養にし、残りを口から取るようにし、一日の摂取カロリー目安を1100kcalにしています。

栄養注入に伴って経管注入で投薬をしています。ワーファリン1.75mg(朝) 脳梗塞からくるテンカン痙攣止めのエクセグラン(昼夜)とタケプロン(朝)と酸化マグネシウム(昼夜)です。

麻痺側の右手足も、手のヒラ・指が入院中は硬縮が始まっていたんですが、在宅に移ってからケアマネの紹介で医療リハビリマッサージを週3回1回20分を受けてから良好になり、腕は少しですが閉じ開きが出来るようになってきました。腕も足も意識的に力を入れられるようになってきて、もう少しで多少は動くようになるだろうと言われています。

長くなり申し訳ありませんが、まずは現状の状態報告をさせていただきました。ここから本題です。

【ETV特集の感想】
問題提起・発起の番組としては、胃ろうを知らない人にも広報するという意味でも一定の意味ある番組だとは思いました。しかし、一回で終わるには番組意図が隔たっていて意図的に視聴者の思考を誘導するような作りだったと思います。

具体的に書きます。
胃ろうを日本に広めたというドクターが出演していましたが、意思表示の困難な患者さん、要介護者さんに対しての胃ろうからの経管栄養が、延命・生命尊厳という次元の話になって行ってしまっています。
これは【胃ろう】というものからはずれ、医療の生命尊厳問題に視点を移されてしまっていて、胃ろうの本質と違う部分へ思考を誘導されてしまっています。これは、それこそ手術も、がん治療なども含めて延命と生命尊厳という問題の範疇・次元であり、【胃ろう】を知らない人に向かっていきなりああいう問題提起はおかしいと感じました。
うちみたいに胃ろうのおかげで目に見えて様々な部分が良い方向に向かっている介護家族としては、胃ろうのいい部分が数言の言葉でのみ流され、胃ろうのメリット部分が隠されてしまっていると思います。
あのような番組、生命尊厳の問題の次元になることで胃ろうのマイナスイメージを刷り込むという意図が感じられて仕方がありません。ワザワザ胃ろうをダシに使い【延命・生命尊厳】を考えさせようとするような番組だったと思います。
公平公正な番組と言うならば同じ分だけ胃ろうのメリット・ポジティブ部分を示すべきだったと思います。

この真夏・異常気象下でも、高齢者にも関わらず水分補給は完全管理ができ、水分不足での熱中症の心配は少ないです。食べられない時は、その分を増やして注入することもできますので、ある程度の栄養管理も大丈夫です。何より各種リハビリに対する基礎体力が付いてきますので、いい方向にいっています。

さらに、在宅での胃ろうへの本人・介護家族の取り組みなども紹介した方が、より胃ろうについて理解を広げられたと感じています。

結果的に、生命尊厳問題と必要以上にリンクさせすぎた為に、胃ろう自体の本質部分を示せなかった番組だと思います。3回シリーズくらいで幅広く取り組むのならば、そのうちの一回としては今回の内容でもいいかと思いますが、これ一回のみでは評価できない番組構成と言わざるをえません。

以上長くなりましたが、ETV特集の感想とさせていただきます。 ありがとうございました。

苦渋の選択であるべき

東京在住 K.I.

胃ろうを拒否した家族が二件紹介されました。

最初のは、納得しました。

二件目は、あの映像だけで考えると、少し短絡的なやり方だと思いました。

食べられない、会話できない・・・・即、胃ろう拒否ではなく・・・・いろいろ、頑張ってみるとか・・いくら本人の意思が「命は食なり」とはいえ、胃ろうで、死ぬまでの時間稼ぎして、本当に植物人間的なことを見定めたうえでの苦渋の選択であるべきだと思います。本当に。

まず、本人の生きる気力を引き出す刺激を

北海道在住 池田 暁

小生も妻も関心が有るので見ました。

胃瘻は確かに画期的な医学的処置だと思います。しかし、現実に妻に食道瘻を造り、その後の病院とのやり取りを考えてみると見えてくることがあります。

昨年12月、妻は風邪の症状が出て、新型のインフルエンザを心配して受診したが、現実に診断は誤燕性肺炎の疑いで7日間の入院でした。妻の入院~その後の病院との関わりを考えて、小生は病院や施設では本人や家族の本当の思いや希望を叶える事は難しい。病院任せは危険なことだ、と思ってます。

乱暴な考えですが、本人の思いと家族の思いはみんな同じだと思ってます。良くなりたいのに。病院に行き本人も頑張っているのに。生きる気力が無くなったお祖母ちゃんを、何人も見てきました(妻の入院中に)。先ずは刺激を沢山取り入れて脳を活性化して、本人の生きる気力が一番大事、と思ってます。

妻も小生も、脳幹出血で誤燕性肺炎の恐れがある後遺症をもってしまい、瘻を造るのですが。目的は以前と同じように口から食べ物を摂取する事にあると思っています。

胃瘻を造り栄養が充分に行き渡るようになると、身体の機能もあがります。経鼻管栄養よりも障害が少なく。訓練を重ねれば、摂取の可能性は増えると思うのですが。現実に病院に入院していてその様な動きは無かった。かえって胃瘻は管理しやすいという、病院側の管理制度が見えてきました。

本人と家族の目的希望を叶える為に、本人の意志・家族の思い・病院側の意見を総合して家族が判断するのが一番自然な姿だと思ってます。症状は個人差があるので一概には決めつけられませんが、家族が決断したら安心感があると思います。

妻も燕下機能の麻痺は今でもあり、将来、何時か又口からの摂取が難しい時が来ると思いますが、それはその時考えます。お陰様で日々自宅で過ごすことが出来てます。皆さんのお陰だと思ってます。

胃瘻を造り栄養が充分に行き渡るようになると、経鼻管栄養よりも障害が少なく、身体の機能もあがります。訓練を重ねれば、摂取の可能性は増えると思うのですが。先日の放送では、胃瘻を造ってからの追跡(外して食べれるようになった部分)が少なかったと思ってます。

どちらを選んでも、家族も患者も救われる終末期ケアを

匿名

89歳、寝たきり、認知症の母をもつ患者家族です。最近食べられなくなり医師から胃ろうの造設を勧められました。

特集を見て、胃ろうを母につけたくないと考えています。

石飛幸三先生の本を読みましたし、高齢者への胃ろうには基本的に反対です。

鈴木先生の「がんばってがんばって、ひっぱる医療が本人のQOLに貢献するかどうか疑問に思う」という考えにも賛同します。

番組の中で、今里先生が「人にとって空気と水と栄養という基本のものを与えてあげることは医療の倫理として絶対に守られなければならない理念である」というようなことをおっしゃっていたと思います。しかし、高齢者にとって本当に「栄養」までもが含まれるのかと疑問に思います。ひっぱって生きながらえても必ず死はやってくるからです。避けられない真実だからです。

ローコストで取り扱いが簡単な胃ろうという画期的な技術だったからこそと思いますが、10年間で40万人に造設されているという日本の現状は、「生きる質」についてもっと皆で話し合う必要があると思います。

胃ろうが発達した日本にだけ、栄養の種類が大変多くあるという番組での報告は、日本に胃ろうビジネスなるものができているのではないかとさえ思います。

私の結論として、たとえ胃ろうの効果でいったんはうまく口から食べられるようになったとしても、高齢者にはまた胃ろうに返らざるをえなくなる時期が必ずやってきて今度はいつはずすのか? 果たして誰が胃ろうをはずすことができるのか? という大問題が先にある限り、「簡単に胃ろうを造るべきではない」と考えます。「生」は良くて「死」は悪いという考え方の大きな方向転換が、高齢者の終末期医療に早急に必要だと考えます。

また、社会の風潮としての問題もあると思います。家族が「胃ろうを造りません」といったときに、それも選択であるという誰からも受け入れられる社会ができていないと、はっきり言うことが怖いというような社会では困ると思います。石飛先生のようにどちらを選んでも家族も患者も救われる終末期ケアを望みます。

高齢者にとって、口から食べられなくなったときに「なにもしない」ということのもつ意味は、自然界に生きる動物のうちの1つの種として当たり前のことと思うし、死への過程で「起こる苦痛は取り除く」ということができるのは、人間という動物に生まれたこの上ない恵みと思います。

死が近づいてきたら、家族だけでなく、みんなでその人が自然に近い状態で旅立てる「見守りの環境」を整えて欲しいと望みます。

「終末期医療はEBM(Evidenced-Based Medicine:科学的根拠に基づく医療)ではなく、NBM(Narrative-Based Medicine:語りに基づく医療)となるべきであるという見解が、先進国の主流である」と言う意見があります。