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PEGと生命倫理2

普門院診療所 内科

田中 雅博
田中 雅博
 そして「患者の健康状態、病状、診断、予後および治療に関する身元を確認し得るあらゆる情報、ならびにその他のすべての個人情報の秘密は、患者の死後も守られなければならない」「ただし例外的に、患者の子孫が自らの健康上の危険に関わる情報を得る権利は認められる」とする。本人の承諾なしには家族に対しても患者の情報は守らなければならないのだ。(しかし、日本の現状は、本人に無断で家族に癌の病名が知らされ、本人には嘘をつくことも、残念なことに数多く行われている。)

さらに、「意識の無い患者あるいは自己の意思を表現できない患者の場合、法的に妥当であれば、法律上権限のある患者の代理人(法定代理人)から、可能な限りインフォームド コンセントを得なければならない」としているが、「患者の法定代理人、あるいは患者から権限を与えられた者が、医師の立場から見て患者の最善の利益にかなう治療を禁止する場合、医師は関係する法律または制度により、この決定に反対するべきである」とした。本人の希望と家族の希望は一致するとは限らない。延命治療と苦痛緩和が両立不可能な場合、本人は苦痛緩和を望むことが多いが、家族は延命を望む傾向がある。本人の希望を聞ける間にリビングウィルを確認しておくことが望ましい。

  しかし初診時に既にインフォームド コンセントが不可能な状態であることも多い。私達は可能な限り、認知症であっても言葉が話せる限り、本人の希望を確認する努力をしている。これが不可能な場合には、延命治療での患者の虐待を避けるため、スウェーデンで行ように、ケアチームのアセスメントに基づいたケアプランのインフォームド コンセントを家族から得る会議が有効と考えられる。昨年から始まった介護保険制度では介護支援専門員がこの中心的役割を果たす。

3年の経過措置で介護支援専門員の配置を義務づけたことは一歩前進と評価できる。日本の現状では、患者の自己決定権を尊重すると、場合によっては殺人罪告発を受ける。現に私達は第三者から殺人罪告発を受けた。しかし私達医師はリスボン宣言序分において「法律や行政、あるいは他の機関や組織が、以下に掲げる患者の権利を否定する場合には、医師はこれらの権利を保障あるいは回復するために適切な手段を講じなければならない」と宣言しているのだ。

●科学とヒューマニズム
  良いものを選ぶことを批判という。我々は、全く異なる二種類の批判の方法をもっている。科学とヒューマニズム(人文学)だ。科学では、一義的に定義された解釈不要の言葉を用いて、実験と観測というテストで反証可能な論文を書く。すなわち自分の間違いが検証できる形で提出された論文の集積が科学だ。科学としての近代医学は「インデックス・メディクスに載っている医学論文の全体」ということができる。医療の問題で、その答の間違いが検証可能な場合には、科学が最も信頼できる根拠となる。他方、答えが反証不可能な問題に対して科学は無力だ。

例えば、この限りある生命を如何に生きて死ぬかという問題だ。如何なる実験も観測も人の生き方の間違いを検証することは出来ない。答は科学の場合と違って沢山あることになる。様々な生き方の中から「私はこの生き方を選ぶ」と言えるだけだ。そして、非常に長い年月を経過しても読み続けられ、かつ古典研究という厳しい批判に晒された文献、すなわち古典の中に人の生き方の数々の理想を見いだすことができる。この意味で、非科学的諸問題においては、古いものほど選ばれたもの、良いものと言うことができる。そして、古典を研究し如何に生きるかを考えることがヒューマニズムという言葉の原義なのだ。

  多くの古典に認められる「人の生き方の理想」の特徴の一つに「自己の生命を超えた価値」というものがある。もしも自分にとって自分自身の生命よりも大事な価値あるものがあったなら、それはその人の宗教といってよいだろう。たとえば『ソクラテスの弁明』に示されるフィロソフィアはソクラテスにとっての宗教だ。彼のように自己の命を超えた理想があったなら、死ぬという苦しみを乗りこえることができるだろう。

  ある非常に予後不良の癌の治療に関する研究を倫理委員会で審議した際に、研究者から日本の特殊事情が切実に訴えられた。それは患者をサポートする体制の貧困さであった。どんな治療を受けても数ヶ月しか生きられないという現実を、患者本人に言えない場合もあるというのだ。厳しい真実を告げた後のサポート体制が無いからという。西洋の病院では、厳しい現実を告げられた後の患者を全人的(身体的、精神的、社会的ならびに宗教的)に支えるチームが組織されているが、日本には無い。医師が真実を告げた後、患者は放置されることになる。インフォームド コンセントは生命倫理の根本原則であるが、単純に知らせれば良いというわけにはいかない。

単に理解すれば解決する問題ではないのであり、厳しい現実に対して全人的な支えが必要なのである。リスボン宣言の最後には「患者は、患者自身が選んだ宗教の聖職者による支援を含めて、宗教的および倫理的慰安を受ける権利を有し、またこれを辞退する権利も有する」とある。
 治癒が望めない場合には、PEGによって期待できる延命とQOLを評価し、PEGを薦めるか否かを全人的なケアチームで検討し、インフォームド コンセントを得るのが理想である。
「PEGへのご案内」(2001年6月30日発行)より