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おサル先生の在宅医療入門「一番輝いていた時!」の巻
小川 滋彦(金沢市・内科)
(石川保険医新聞・平成十四年六・七月号より一部改変して転載)

おサル先生が幼少の頃、父親は仕事の関係で、車を運転して石川県とお隣りの富山県の間を行き来していた。まだおサル先生も小さかったので、家族ぐるみの移動であった。県境には源平合戦の古戦場として有名な倶利伽羅(くりから)峠という難所があり、当時は国道といえども険しい山道だったが、今はトンネルで短時間で通り抜けることができる。その国道の新しいトンネルは、電化される以前の旧国鉄(日本国有鉄道)線をそのまま利用して拡張したもので、自動車でもかなりの急勾配だと感じられるくらいだから、この坂道を蒸気機関車が長大編成の列車を牽いて登り貫けるのは大変なことだった。

父は、このトンネルが国鉄線だった頃、国道がその入り口をオーバークロスする道路脇に車を停め、三歳のおサル先生を抱っこして、二両連結の機関車が喘ぎながら登ってくる光景を見せてくれたのだと言う。当時は富山湾を人工的に掘り下げ工業地帯を造成するために、関西方面から大量の資材を運ぶ必要があった。北陸本線の貨物輸送量も急激に伸びていた時期で、一列車あたりの重量も定数一杯だった。二両のD51型蒸気機関車が牡牛のような図体をゆっさゆっさと揺らしながら、天を焦がす激しい煙を噴き上げ、ゆっくりと登ってくる。ボイラーが張り裂けんばかりの排気音は見る者の心臓の鼓動をさらに煽り立てる。そんな峠の機関車の感動を息子に是非、とわざわざ車を停めて見せてくれたはずなのだが、いかんせん、おサル先生はその様子を思い出すことができない。父が熱く語ってくれるので、一生懸命にその記憶を辿ろうとするのだが、どうしても思い出せないのだ。いみじくも北山吉明先生が「三歳までに体験したことは記憶痕跡として意識の深層に残り、感性に大きな影響を与える」と書いていらっしゃったが、北山先生に刷り込まれたのが「美しい音楽」だったとすれば、おサル先生の潜在意識には「峠の機関車」が刷り込まれてしまったようだ。

そのせいか、おサル先生は鉄道には特別の思いを寄せているし、とりわけ県境のこの峠の交通の変遷には興味があった。調べているうちに勾配緩和のため数回に亘り路線を変更していることも分かり、その遺構を探ることは考古学のような楽しみがあったし、また一時期この急坂を克服するために五軸の特殊な機関車が配置されたことも知った。

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