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NHK ETV特集 あなたはどう考えますか?4
―食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪―

PDNセミナー講師でも引っ張りだこの、今里真先生、西山順博先生、高橋美香子先生からもご意見をいただきました。3人の先生方はどのように考えておられるのでしょうか?

「最期まで見捨てない」愛情に基づくPEG

今里 真(大分健生病院副院長・PEGセンター長)

前半「一度胃ろうにしたらやめられない」と報道がありましたが、勿論誤解です。栄養を減らす事も、水だけにする事もできますし、管を抜けば、翌日には胃ろうの穴は自然閉鎖します。再造設も可能です。医師すら知らない方が多いのです(PDNに関わる方々には常識でしょうが)。

呈示症例以外にも、全量経口摂取になる症例が前の病院で「経口は禁忌」を見かけます。また、胃ろうを用いずに栄養をとって頂くには、「鼻からの管」や点滴を用いる事になるだけです(それより胃ろうが優れているから、普及しているだけの事です)。従ってテーマの本質は、認知症や意識障害の患者さんに対して「栄養を与えるか」、「栄養を中止して最期とするか」が問題なのだと思います。

この様な露骨なテーマにすると反感を買うので、野蛮な(?)胃ろうが矛先に替えられた様にもとれます。

終末期の代謝になると(私は冬眠と表現します)、過剰な水分や栄養で呼吸苦や浮腫が生じますので、胃ろう栄養を徐々に減らしたり、末梢点滴を一日500cc程度にされる先生もおられます。本人の表情や家族の安心感など、それも立派な緩和ケアと存じます。

今後解き明かされる、この「さじ加減」は、現状では医師の経験、患者さんや家族との充分な話し合い、そして「最期まで見捨てないよ」という主治医からの継続した愛情があってこそだと思います。

私の恐れは、若い医師が「自分が楽をしたい」からとガイドラインを乱用する事です。前半の石飛先生も「患者にとって価値ある時間といえるのか」と悩んでおられましたが、番組をご覧の方は「患者に価値がない」と誤解されたのでは、と危惧します。抗生剤での(数十年の)長寿化の方が善で、栄養による(数年の)僅かな長寿化は悪なのでしょうか?

「意識がない」という言葉は「脳波がない」事でほぼ「脳死」です。脳死の患者さんに胃ろう造設をする事は想定していません。その誤解を説いたのですが、残念ながら私の言葉は番組で再編集されていました。

「胃ろうも、心臓のペースメーカーも、車椅子も、同じ緩和ケアのアイテムとしてWHOが認めている」、これだけで患者さんも医療者も皆が笑顔になるのではと思います。

PEGは乾いたからだを潤わせるための栄養経路

西山順博(西山医院 院長)

ETV特集を見せていただきました。

PEGの適応についての難しさ、医療者も家族や本人以上に悩んでいるのだ!ということがみてとれるものでした。また、適否については何らかの法整備が必要と感じました。

ただ、私は医療者として、意思の疎通がとれないから、延命処置?だから、点滴も経腸栄養(PEG)も受けないというのはいかがなものかと思います。枯れかけた花に水を与えることは医療以前の行為であると考えます。

放送の中で、あるアンケート調査で『家族(患者)にはPEGをするが、自分(医療者)ならPEGをしない』との回答が多いとのことでしたが、回答者は、脳死状態と混同してはいないでしょうか? 意識はあるが意思の疎通がとれない状態での選択・問いかけだと思いますが…。

砂漠の中で独りぼっち、喉がからからでオアシスを見つけたがその水を飲めない!ってことですよね? もし、自分が脳梗塞・認知症により突然、摂食嚥下障害になった、喉が渇いて仕方がないが、構音障害もあり、手足も縛られ、伝えられない。この状態で点滴も経腸栄養(PEG)も受けないということは、自ら餓死を選ぶということですが、それでも受けないのですかと問いなおすべきだと思います。ちなみに食いしん坊の私にとって、断食は何事にも代えられない苦しみであり、その問いに対しては『PEGを受けます』とこたえるでしょう。

そんなことを考えると、法整備については脳波検査も入ってくるのかなと思ってしまいます。法整備の結論が出るまでは、PEGに携わってきたものとして、PEGの適否については納得いくまで家族と一緒に考え、PEGを選択されたなら患者さん・家族のQOLが少しでも向上するように努力したい、今里先生同様、できれば経口摂取を目指したいと思っています。

PEG患者さんも年々老いていかれます。必要栄養量は計算上1,000kcal、水分量は1,200ml。でも、患者さんの状態に合わせて600kcal、800mlに減量した方がよい場合もあります。PEGは必要栄養量・水分量を強制的に入れ続けるものではなく、状態に応じて調整できます。PEGは乾いたからだを潤わせるための栄養経路! 延命処置ではなく、安らかに過ごすためのツールではないでしょうか?


今日も在宅PEG交換してきました。13時の予定が15時になってしまいました。ご自宅に着き、私:『○○さんごめんね、遅くなって。こんな暑いのに飲まず食わずでお待たせしてしまって!』
交換が無事終わり、○○さんの奥さんが『おじいさん、お腹すいたでしょ? 今日は暑いから、栄養剤少し冷たくしてるのよ!』こんな自然な言葉がでてくるんですよ!

胃瘻を持った人にも優しい社会を

高橋美香子(鶴岡協立病院 内科医)

「胃瘻にしても消化管が栄養を受け入れられない」「苦しみを長引かせるだけ」という意見がありましたが、前者は倫理的適応ではなく医学的適応の(正常な消化吸収能力が胃瘻栄養の条件)、後者は緩和ケアの問題です。

正確な適応と、十分な苦痛緩和や身体的・精神的・金銭的・社会的サポートの充実で解決すべき問題と考えます。

医療者は患者さんとご家族が正しい情報に基づき意志決定できるよう援助することを心がけ、経管栄養の選択は患者側主体で行うべきです。

胃瘻造設にまつわる誤った認識や過大な期待については正しい情報を提供し、強制栄養をしないという選択肢があることや、その結果もたらされる事象(誤嚥・衰弱・栄養障害等)についてもきちんと説明し、理解と覚悟を得ることも必要です。尊厳死の意向は尊重されるべきですが、他者がそれを要求する性質のものではありません。
「障害を持ちつつ医療の進歩によって命を繋いでいる人々」は、たとえ意志表示ができなくても、「意識や感情がない」のではありません。ましてや「生きる価値がない」という言葉は存在しません。胃瘻を造った人が尊厳なく苦しみを受けているのだとしたら、それは胃瘻のせいではなく、周りの人たちの意識の問題です。

患者さんやご家族の思いは揺れ動きます。何度でも繰り返し確認し、胃瘻を選んだ方には、もてる技術を駆使して最高の胃瘻ライフ(造設も管理も)のサポートを、胃瘻を選ばなかった方にも、できる限りのサポートに努めています。ただし、全身状態が悪化して低栄養サイクルに陥ってしまうと胃瘻造設後の経過は厳しくなってしまいます。

胃瘻は道具ですから、衰えゆく病態そのものを止めることはできません。だからこそ、少しでも多くの幸せ、一度でも多い笑顔を患者さんやご家族と共有したいと思っています。

一人ひとりの患者さんの小さな変化をともに喜ぶ感性を、「命を守る」医療・福祉のプロとして、大切にしてほしいと思います。

誰もが「尊厳に満ちた生」を送り、「平穏に尊厳のある死」を迎えたい。生きる価値のない人間、尊厳のない人間はいません。胃瘻の存在と人間の尊厳は別問題です。胃瘻を持った人に優しい社会は、誰にでも優しい社会のはずです。

最後に、皆さんからの感想・ご意見を拝見した上での、本番組の案内人、鈴木裕理事長のコメントをご紹介します