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NHK ETV特集 あなたはどう考えますか?3
―食べなくても生きられる~胃ろうの功と罪―

「終末期医療はEBM(Evidenced-Based Medicine:科学的根拠に基づく医療)ではなく、NBM(Narrative-Based Medicine:語りに基づく医療)となるべきであるという見解が、先進国の主流である」と言う意見があります。医療者側からの情報、患者・家族から発せられる情報は、お互いに語り合われているでしょうか?

対等な情報量があってこその選択

小山輝幸(特別養護老人ホームグリーンヒル泉・横浜 事務長補佐)

特養の職員として入居者およびその家族と胃瘻や終末期について相談にのり、胃瘻にする・しないのどちらを選択されたとしてもその選択を受け入れ支えるようにしている。

しかし実際は医療・介護関係者と入居者・家族との情報量の差は圧倒的なものであり、その上で説明をした後に「家族および本人が最後は選択して答えたのだから」と自分自身にいい訳をしているような気持ちに陥ることがある。もっと胃瘻や終末期、さらには死生観について国民が意識し議論を行い充分な情報を得、医療・介護関係者と入居者・家族が情報量において対等に近い状態となったうえで選択をしていただく必要があると思われる。そのためにも「その現場」で働く一員として、自分が経験してきたことを世間に発信していく必要性を再確認させられた番組であった。

また今年は脳死患者からの臓器移植に関して議論が多く交されてきたが、胃瘻という臓器移植よりもはるかに多い件数が行われているこの医療に対して、議論や制度作りが後手になっている感が否めない。

もっと患者・家族の声を!

匿名(勤務医 内科・NST).

PEGが爆発的に広がった経緯から現在の問題まで分かりやすく肉迫し、鈴木先生と石飛先生の医師としての仕事はもちろんのこと、番組づくりへの熱意・お力に、只、只、頭が下がります。 (最近はNHKといえども通り一遍の取材だけで番組を完成させてしまうような感があったので…少し心配していました)

PEGを造設された患者さんが増えてきたと同時に、看取りの問題、経口訓練無しで放置された方、正しい知識のないまま管理されているPEG、作らなくて良かったPEGなど、問題は、現場で患者さんと、直接携わる医療関係者(特に看護師かと)に直撃でした。

医療関係者側だけでなく、患者さん本人、あるいは家族の声・意見・感想・提言などがもっと聞けるようになると、よい『すり合わせ』ができるように夢想します。それまでは、一人ひとりの良心に従って、医療の提供を行いたいと思います。

「あきらめづらい社会」における選択肢の模索

夫津木 健一(言語聴覚士)

病院でよく胃瘻をしている患者をみていて、この番組を見る前では何も感じませんでした。

口から食べられなくなったから、代替手段として胃瘻を選択し、栄養を摂取することは罪ではないと考えます。
この番組を見て思ったことは、理想の死のあり方は何なのかと、医療はいつでも万能ではないことだと思いました。理想の死のあり方は医師だけでは決められないこと、患者ご本人に選択するだけの能力がない段階での延命措置に関しては、家族の意見も参考にし、簡単には決められないことなんだと思います。理想の死のあり方自体を考える余裕があるだけましなのかもしれません。考える余裕がなく命を絶つ方もおられますし、状況により殺害されることもあること、またそれに近いことが現実に起こっています。

胃瘻をしつつも、家族やサポートがしっかりしており、看取る側も看取られる側も昔とは違った死のあり方に直面しているのは確かです。「もう年だから」「もう十分生きた」「もう手遅れです」―生きるための手段や治療法が全くない時代であれば、あきらめがつきます。生きるための手段や治療法があるから、あきらめがつかないのではないでしょうか?

患者、治療者間で積極的に前向きに治療することも必要なんですが、医療は積極的にあきらめようとすることはないような気がします。積極的にあきらめることができれば、必要以上に死について悩まなくてもすむのかもしれません。あきらめることは罪ですと言われればそれまでなのですが、死に方にガイドラインが必要なのかも疑問なのです。

なんでもかんでもガイドラインを作り、じゃあこのあたりで死んでもらいましょう、というのはやっぱり無責任な感じはします。

体が耐えられないほどの栄養を投与するのもどうかと思いますし、永遠に生き続けることができないのは確かです。いつかは寿命がきます。寿命がくるまでの間が長くなり、ただ管につながれているだけで、本人の意思が確認できないのは悩ましいです。

空しいことをいつまでも続けることは治療者側からすれば辛いことかもしれませんし、何も悪いことはしていないのに、辛いことをしているという罪悪感に苛まれるのかもしれません。苛まれることも実は今後の医療の流れを変えていくきっかけになるのかもしれません。果たして平均寿命を延ばし、長生きさせることだけが医療なのかを。

声をかけて反応がある患者と反応がない患者では、反応がある患者のほうが治療者側もやりがいを感じることができます。今後は時代にあった死に方を考えることが大切になるかもしれませんし、自由に死を選択できる時代がきてもおかしくはないかと思っています。

「死」というのはマイナスなイメージがつきまとい、「死」からなんとか遠ざけようと、医療や家族や仲間が助けてくれることがあります。しかし、本当に死にたい人もいることも確かです。

上手に受け止めてあげたいですし、法的に問題があれば変えていかなければならない。

医療は万能ではないことを忘れてはいけないことと、患者を取り巻く環境、背景をもっと考えて、治療法や選択肢を変えていくことが、患者にとっても治療者側にとっても苦にならないのではないかと考えています。

PDNセミナー講師でも引っ張りだこの、今里真先生、西山順博先生、高橋美香子先生からもご意見をいただきました。