飛田洋さん

なにくそ!俺はここにいる189

京都府 飛田洋さん(75歳)

飛田洋さんは、平成10年11月に脳梗塞を発症しました。

完全四肢麻痺、構音障害、嚥下障害を認め、入院中に胃ろう造設術、気管切開術が施行されました。平成12年6月に在宅へ移行され、かすかに動くようになった指先でパソコンを操り、創作活動を続けています。

毎日書きためたものは、月刊誌としてまとめられ、製本されています。

■ハンサ・無責任/二行きめる個人の見解

《仰げば尊し》平成30年11月1日(木曜日)


 世に言う団台の世代の前、捨て育ち?世代と言うか六人兄弟
は普通でした。親たちは生活に追われPTAの活動も学校からの
連絡係で地味なものでした、多分先生に子供達がお世話になっ
ていると感謝されてたのでしょう あの頃は先生に天国でしたが昭
和31年当時の経験を書いてみましょう。

 生徒の疑問に答えられない地理の先生、教え子の姉と交際し
た途端、同級生の成績を忖度してたそうな、当時は教師の主観
で採点されてたらしく、卒業後聞いたのだが結ばれた美術の教
師。当時は気にしていなかったが、休み時間にやたらと教室に現
れ、お気に入りの女生徒を自分の膝に乗せ、その子の髪や三つ編
み等で遊ぶ担任、今なら完全なセクハラ。ストーブの棒でやたらと
頭を小突く職業科の暴力教師、さすが酷かったのでクラスで授業
ボイコット、騒ぎで早々に転校処分。受験を控えた先輩の家庭教
師の内職に励む国の語教師。後輩のテストの採点を虎の巻を私
に渡し一任する数学教師。

クラスの有力者を自宅に招き静かに授業させてと懇願する音楽教
師、期末テスト中に試験監督を放棄しトイレに行き生徒に媚びを
売る先生、みんな生きる為に大変でした。

 一方生徒は就職組の非行グループと鑑別所帰りが校庭や校舎
内で暴れまわり、暴力騒動を起こしてました。進学組と進路の定
まらないもの普通の就職組は教室に避難、回避して談笑。

学校間の不良組同士の暴力事件、硬派の喧嘩は多発した。

いつからか教師が教員になり父兄の一部には自分が雇用主気取
りの人がいるそうな。その頃から、いじめ自殺の増加。そう聞くと今
の尊敬されない教員は気の毒で、上下からのパワハラ地獄にも良
く頑張っておられる。

 そこで 《権利自由 口にするより 己が義務》 なんてーね 続く

■ ハンサ・無責任者の川柳風《二行詞》


・居た切りに どうでも良い事 多すぎる
               厭世なのか 余裕とゆとり

・子育ての 経験ないのが 洗髪か
               耳の穴へと 浸水しきり

・批判する その身を知れよ 振りかえれ
               言わぬが花と 他人は想うな

・公人にゃ 四方八方 パパラッチ
               監視されてる 覚悟しなされ

・掴まずに 支えておくれ 足と腕
               手荒に持つな 衰え来てる

・トイレ中 話しかけるな 動かすな
               多忙なりゃこそ しばし休憩

・寝たきりに 腹筋ですかと 聞くナース
               年寄りだから アバラ骨だろ

・聞いたとて 俺にどうにも 出来ぬこと
               言うてくれるな 悩みますだけ

・だっこちゃん なんて昔に 流行ってた
               雑っこちゃんだね 最近貴女

・生きた金 死んだ金とは どう違う
               金に困れば 粗末にできぬ

・眠られぬ 眠れないのと 聞かされて
               眠れぬままに 観察してる

・鈍いなら 先にすること 先にする
               後にするから すぐに忘れる

・お目出度く 善意で取れば 腹立たぬ
               解かりながらも すぐに忘れる

≪かんにんな≫

≪想い出巡り≫



幸せ上げると  口にして
 約束破って   かんにんな
何にも伝えず  死ぬよりも
 命があるだけ  儲けもの
やる気する気の 塊りも
 無様な体で   かんにんな


名誉の負傷で  ないけれど
 仕事の途中で  かんにんな
他人まき込む  事故じゃなく
 自宅で倒れて  何よりだ
天職だからと  強がって
 惨めな姿で   かんにんな


老後にはとバス 巡りだと
 楽しみ奪って  かんにんな
そのくせ介護を 背負わして
 夜更けに泣く声 聞かされた
後悔するのが  遅いけど
 話せぬ心は   かんにんな



祇園その名は  弥栄やさか
紅がら格子の  純喫茶
 石段下を    東入ル
 医師の畳の   細い路地
  今も在るのか  変わらずに
  想いでだけは  生きている


五条カラチは   烏丸からすま
仄かな灯かりの 二階席
 門限までの   二時間を
 二人歩いた   スタート地
  今も在るのか  潰れたか
  想い出だけは  生きている


熊野神社の   らんたんの
店主と不思議と 話合う
 焼跡などで   遊んでた
 昔忍んで    いた所為か
  今も在るのか  不明だが
  想い出だけは  生きている


≪のろい鈍い≫

≪引き篭もり≫


『一』
のろい鈍いと  言うけれど
牛の歩みと   並べるな
スマホ世代と  比べるな
 物の不足を   頑張りと
 知恵と工夫と  根性だけで
 生きた証が   現在さ

『二』
のろい鈍いと  言うけれど
ムカデ並みかね この出足
スマホ世代の  お荷物か
 みんな購入   すれば済む
 君らにとって  幸せなのは
 大切なのは   金なのか

『三』
のろい鈍いと  言うけれど
亀も休まず   進んでる
スマホ世代に  負けぬ気で
 それは誇りが  叫び出し
 生きて来た道  その人生の
 醸し出してる  味なのさ


『一』
不便不都合   相棒に
人を避けてる  引き篭もり
山と時間は   有り余り
余裕ゆとりの  二重奏
 焦ることない  私さえ
 長い我慢は   嫌なもの

『二』
不満不条理   並べても
人の噂か    引き篭もり
夢は崩れて   儚いが
何も忘れた   訳じゃない
 見えぬ心の   不確かな
 愛はくすぶり  続けてる

『三』
不遇不自然   別ならば
人は真似るな  引き篭もり
常に慌てる   事もない
誰も追わない  指示しない
 辛い運命は   予期せぬが
 上を下から   眺めてる


主治医より一言

《のろい鈍い》

私は鈍い(にぶい)と云う言葉が嫌いですがのろい(SLOW)と云う言葉は好きです。

60才を過ぎてから、効率や結果を重視するのではなく、ゆっくりとした時間を過ごしながら人生を楽しみたいと思うようになってきました(スローライフ)。メールもやめました。診療所以外の仕事も徐々に減らしてきてます。一度に多くの物事をしないようにしています。仕事以外では、車ではなく歩くように(ゆっくり)しています。仕事柄(胃腸専門)日頃患者にはゆっくりよく噛んで食べるように云ってきましたがやっと私も今実践しています。今、この瞬間を楽しむように心がけています。(岡野拝)