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No.315 PEGの適応(特に重度の痴呆の方など) From 白浜雅司

 私は佐賀県の三瀬村という小さな村で診療所の医師として働きながら、佐賀医大で医療倫理やコミュニケーションの教育にあたるという立場の医師です。
PEGについては、村で脳梗塞後の嚥下障害はあって誤嚥性肺炎を何度か起こしている方に、入れてもらって、元気にされている方がおられますし、いい方法ができたなと喜ぶ一方、自分の恩師が、パーキンソン病で嚥下ができなくなって、肺炎を起こして入院し、PEGを入れたのですが、もともとC型肝炎があったためか、術後の傷の治りが悪く、腹膜炎、DICとなって、その時は一応一命は取り留めましたが、その後話すこともなく、1ヶ月ほどの闘病でさびしくなくなられた経験があります。
  今日は、本当に終末期の方にPEGがあるのかという質問があってメールしました。そちらのHPでも「PEGをしてまで」「PEGくらいは」というページが建設中と知り、ぜひそのあたりのことについての日本のデータを知りたいと願っています。
  末期の痴呆の患者や座位の取れない患者では、欧米には、PEGをしたからといって鼻からの経管栄養と比べて誤嚥性肺炎のリスクや生命予後はかわらなりという論文もいくつかあるようです。
  先週末に在宅ホスピス研究会で、86歳のアルツハイマーが進んで寝たきりとなった患者さんのPEGについての模擬倫理委員会という企画がありました。医師や看護婦役の方が、PEGをすれば嚥下性肺炎もなくなり、介護も簡単ですみたいないいことばっかりいわれて、私はフロアーからPEGをすればすべてが解決するようなインフォームドコセントはおかしいと意義をとなえました。食事は誤
嚥のひとつの要因ですが、唾液つばなど、食事以外の誤嚥性肺炎の問題は解決されません。PEGで胃をひきあげる分逆流のリスクは増える可能性もあるでしょう。
  痴呆はもちろん程度があり、食後しばらく座位の保持ができるような人はいいでしょうが。末期で意識もないような痴呆の方へのPEG造設はよく考えて対応したほうがいいように思います。
  私の村の患者さんのPEGをお願いの電話をしたときに、担当の消化器の先生が「歩いたり、座位を取れる人ならやるけど」と言われたことは、非常に現実的な対応だったと思います。
  痴呆や老衰で嚥下だけでなく、全身的な食べる力が下がった場合、特に本人の意思の確認ができない状況で、どんどん医療者から家族にPEGをするといいですよと勧めるのが本当にいいのか疑問を感じるのです。また患者のためにと言いながら、それが看護や介護の負担を減らすだけになっていることはないでしょうか。
  先日のホスピス研究会の討論でも、PEGを入れたとたんにそれまで必死で食べさせようとしていた熱意が冷めて、人が離れていくということをある介護士の方が述べておられて考えさせられました。
  私は尿路系の腫瘍の患者さんで、もう積極的治療法がない、余命3ヶ月ということで家に帰ってきた患者さんが、本当に毎日200-500ccの水分だけをとって6ヶ月くらい家で過ごしたことを経験しました。どんどんやせて60kgの体が25kgになりましたが、往診にいく度にだるいけど、点滴はしないでくれと言われ、モルヒネも使わず、時々座薬を使うだけで苦痛も少なかったです。このような末期の輸液の制限が患者さんのQOLを維持するのに効果的であることはLancet、NEJMなどで報告され、日本のターミナルケアの現場でも普及しているようです。
  餓死させるのかという意見もありますが、食べなくなってやせていくということも、人間に与えられた最後を苦痛なくすごせる方法のひとつのように思います。
  PEGの恩恵を受けているたくさんの患者さんがおられることは事実ですが、特にがんや痴呆の終末期のPEGの対応は本当に適応と考えていいのか、どのような場合には差し控えたがいいのか。(私は2-3ヶ月PEGをやってみて、全身状態が改善しない場合、やめるという選択があってもいいと思いますが)ぜひ多くのそういう事例を経験されている先生方に実情を教えていただきたいのです。よろしくおねがいします。またある程度まとまったこれまでの経鼻栄養との比較のデータなどがあったら教えていただきたいのですが。


Re : PEGの適応(特に重度の痴呆の方など)   From 太郎
白浜先生こんばんは 太朗といいます.
私も経鼻胃管で安定期にあった症例を,胃瘻に変更した後に状態を悪くして残念な思いをしたことが何度もあります.自分が胃瘻をやり始めた頃はPEGの情報は希薄で,出てくる文献はPEGの利点が記述されたものがほとんどでした.(利点を述べないと普及しないので当然といえば当然.)自分は老年科医でそのころは老人病院で勤務していたことから,そんないい方法がならばやってみようとセッセと始めました.しかし始めてみるとPEGは良いところもあれば悪いところもあり,経鼻胃管で安定している方をPEGに変更してその悪い部分が出てしまうと結果的に大変後悔してしまうことになります.そのためかボクの論文はPEGの悪口(合併症)ばかりです.
ですので経鼻胃管で安定をしている症例に対しては,ボクはPEGを積極的には勧めていません.勧めませんが提案はします.利点と欠点を説明した上で本人又は代理人であるご家族が,希望する場合は手術を行います.ただそれだけです.終末期医療におけるPEGはよりよい終末期を送るための方法の一手段であり,全肯定も全否定もないように思います.ましてや経鼻胃管をPEGにしても生命予後は変わらない,よってPEGは意味がないとのあの欧文論文には本当にビックリしました.
 経鼻胃管の比較データに関しては,尊敬する小川先生の論文を御紹介させていただきます.
小川滋彦、小市勝之、中野由美子、池田直樹、若林時夫、川上和之、川浦幸光。経皮内視鏡的胃瘻造設術の胃食道逆流における有用性・経鼻胃管との比較検討・Gastoeterol Endosc 1995;37:727-732

Re : PEGの適応(特に重度の痴呆の方など)   From みっくん

 白浜先生、こんにちは.書き込みありがとうございます.
私は中規模病院で消化器内科(一般内科も)をやっています.みっくんといいます.よろしくお願いします.先生の御指摘は大変重要で、これからどんどん声を大きくして議論しなければならない問題がたくさんあると思います.
 インフォームドコンセント、尊厳死との関係、経鼻胃管との比較検討、経管栄養中止の決定などなど、是非私も議論に参加したいと思っていますが、残念ながら数日間多忙でこの問題について十分に意見をまとめる時間がありません.一週間程の間にもう一度意見を書き込みたいと思います.
 私の場合のキーワードは、「栄養補助療法をするかしないかの選択を一番はじめに十分話し合う」「利点も欠点も伝える」「医学的に明らかに意味のないことは拒否する」「ご本人とご家族の決定を尊重し、最後まで支える」.「時に十分な知識なしに決定することがあるので、十分な情報を提供する」です。
 以前に、医療従事者や、患者家族を対象に、食べられなくなった時にどうしてゆきたいかを、痴呆の有無や、ADLの自立度に応じて、患者の場合、家族の場合、自分の場合と分けて、アンケート調査したことがあります(在宅医療と内視鏡治療vol.3).その要点をまとめると、1)いずれの場合も栄養療法を行う場合の選択肢は胃瘻を選択する率が高かった.2)いずれの場合も看護師は他の職種より胃瘻を選択する率が高かった.3)栄養補助を行わないという選択は、自分自身、家族、患者の順に多かった.4)痴呆がある場合はない場合より、栄養補助を行わないという選択が増えた.5)ADL自立度が低下するにつれて、栄養補助を行わないという選択が増えた.というものでした.
 この結果から、「栄養補助治療を行うのかどうか」という選択に一番時間をかけて十分なインフォームドコンセントを行うべきだと考えました.(本人に判断能力がある場合は本人の意向を一番に尊重、本人が判断できない場合は一番近いご家族に決定してもらいます.)もちろん、「行わない」という選択がなされた場合はそれを尊重し、そのための援助を最後まで行います.
(しかし、この時、いつでも考えを変えられるということにも触れておく必要があるでしょう.)時に、説明すらきこうとせずに妄信的に「胃に孔をあけるのは絶対嫌だ」と言い張る方がおられますが、この場合でも必ず補助栄養についての説明をきいた上で判断していただくようにしています.(行わない場合は、衰弱しいずれ死にいたるという決断をするわけですのでその点をきちんと理解していただきます.)
 補助栄養を行う場合には消化管の機能その他から自ずと最適な方法は決まってきます.可能なら経腸栄養が第一選択です.経腸栄養においては胃瘻と経鼻胃管については利点欠点の話はしますが、ここについては体力的に許す場合は胃瘻をすすめます.(QOL、管理、トラブルなどの点で胃瘻の優位性は明らかだからです.)
 補助栄養を行わない場合に自宅や病院でだらだらと長期に末梢輸液を行うことはほとんどしません.(家族や医療者の満足だけであり、本人にとって実が伴わないと考えるからです.)途方に暮れるご家族の場合には、「点滴」ではなく、できる限りコミュニケーションの時間をとってもらうために、どんなアプローチの方法があるか具体的にアドバイスを心がけます.
 少ない経験ですが、PEGを選択される方もされない方もいます.そのどちらであっても、選択した人生の方法をできる限り支えるという立場にたち、決して、決定そのものを代行してはいけないと思っています.本人の意思が確認できない時に家族が代行することの是非はあると思いますが、現状では家族以外が代行することは困難だと思います.どの選択を選ばれた方であっても、いい人生を全うされたと最後に思ってもらえるように関わりたいです.(ご本人の意向で「意識がなくなったら胃瘻からの栄養剤投与は中止する」というお約束に従ったこともあります.)
 選択の自由はいろいろな選択ができてはじめて成り立ちます.選択肢すらない状況は決して自由ではないはずです(その昔、皆が自宅で自然に亡くなっていったのは決して尊厳死ではなく、それしか方法がなかっただけなのです.).尊厳死も自宅での看取りも、それ以外の選択もできる状況であってこそ自由意思で選べるのだと考えます.誰でも長く生きたいし、長く生きてもらいたい、それは自然な感情で、命そのものに価値を見出すような感情も大切にしていきたいと思います.


Re : PEGの適応(特に重度の痴呆の方など)   From moemoe

● これからの課題
 PEGの医療経済効果に関しては,欧米の文献同様日本でも効果が期待されます.しかし,その患者にとって本当によかったか否かについては,疑問がのこるのが現実です.私は,食道外科医ですが,この問題はPEGに係わらず,外科領域にも同様の疑問があります.このテーマはおそらく医学の永遠の問題だと思います.このテーマに対して,おそらく今年の10月ごろ,医学書院からpalliationに関する本が出版されます.私は,編者ですが,各領域のスペシャリストの話には感動を覚えます.どうぞ,一度読まれて感想をお書き下さい.

● 私が強調したいこと
 私が強調したいのは,癌の末期であれ,人間の末期であれ,その対応にはオーダーメイドでなければならないということです.PEGは確かに全く患者の幸福に寄与しないこともあります.でも,驚くほど患者に貢献することもあります.ですから,末期の患者にPEGがよいかではなく,その患者にとってよいかどうかの検討が必要です.ちなみにわたしどもの施設では,500例を超える癌末期患者のPEGを行ってきました.結果は今,述べてきたとおりです.



Re : PEGの適応(特に重度の痴呆の方など)   From 平成の一休さん

”白浜先生へ”毎日お疲れさまです。はじめまして、平成の一休さんと申します。
佐賀県三瀬村でご診療なさっているのですか?私は生まれ故郷が福岡で【水郷:柳川という美しい町】で、少年期を過ごしました。まだ、私が5歳の時【佐賀医大】へ父親と【胃がんの治療】で何十回も病院へ付き添いでついて行った記憶が鮮明に残っております。いつも父は佐賀の病院へ行こうとはいいませんでした。
病院へ行くときはいつも、汽車に乗せて上がるから佐賀へ行こう?誘ってくれました。当時5歳の幼稚園児だった私はそれはもう嬉しくて嬉しくて飛び上がって父に手を引かれて通ったものです。
その父も50数年前【私を抱いたまま朝冷たくなっていました】夜中に【胃がん】で死んでいたんです。
いつも早起きの父が起きないので【とうちゃん・とうちゃん】と最後には【涙をポロポロ泣きじゃくり】ながら父の身体を揺り動かしましたが、結局、そのまま帰らぬ人となりました。異常に気付いた母親は1月の早朝、外は5cmの雪が道に積もっておりました。その【雪の中を素足で近くの親戚中に夢中】で連絡にかけづり回っていました。あの光景も今も目に焼き付いております。
その母親も5年後に食道癌、3男は肝臓癌、2男はテニアン島上空で日本が誇るゼロ式戦闘機:アメリカのグラマン戦闘機と空中戦で撃墜されたという訃報が届く、長男はゼロ式戦闘機の教官として北海道/中標津空港から帰るに帰れず足止め状態されるなどで「母と8歳の姉、5歳の私、2歳の妹」だけがポツンと取り残され「残る道は一家心中」か「生活保護を受けるか」2ツに1の選択の余地しか残されていませんでした。
その時の結論はいずれも選択しませんでした。何故だか女性ばかりなのに【ここで死んでたまるか】【生活保護なんでクソくらえ】と意見で一致しました。その時働けたのは、母、姉、私の3人でした。妹を背中に背負い何をアルバイトしたか覚えていない位、いろいろな仕事をさせていただきました。頑張っている私達親子の姿をも見て町中の人達が手を貸してくれたり、慰めてくれたり、励ましてくれたり、困ったことがあれば協力してくれたり、差し入れしてくれたりして、それはもう【頑張れよ・頑張れよ】の大声援を背中に受けて現在の私があります。その時、幼心に念ったことは【町中の人から愛されている】【町中のひとから大事にされている】という強い実感でした。
先生のお話を伺っていて気付いたことは、豊かになった現代社会には、どうも当時強かった【人間同士の強い絆】が薄くなってきているような気がしてなりません。終戦後、【国民総貧乏時代】の方が皆さんの心はもっと【豊かで、温く、優しく】かと言って【くよくよしない逞しさ】があったような気がします。振り返ると当時は若くして命を落とす人が圧倒的に多く同じような課題をどの家庭でも抱えていたからこそ出来たのかも知れません。ところが50数年経過した現代社会は逆に【高子高齢化社会】となって当時とは正に逆転現象です。男子も女子も世界一の長寿大国になっています。その結果何が起きたかと言うと【子供の減少】【老人の増加】【患者の増加】【病気の多様化(いたちごっこ)】【医療制度改革の遅れ】【都会に医者が集中し田舎に医者不在状態】【学閥による見解の相違】【政・官・業の癒着】【テクニックに偏った医療者の姿勢】【医者に頼り切った患者の甘え・不勉強】【大病院に患者が集中する異常な状態】【医療機器の発達と医療機器取り扱い技術者の未熟さによるミス】【マニュアル化されてない医療】【置きざり状態の患者さんとその家族】と取り上げれば切りがありません。
そこで【医の倫理】について現在、何が問われているのでしょうか?この問題がクローズアップされてきたのは【医療ミスの多発】【カルテの改ざん】【カルテの未開示】【何処まで許される主治医の裁量権】【告知の問題の棚上げ】【医者が支配者で患者が従属者と言う権威主義がはびこる現状】等切りがありません。
勿論【患者・家族の姿勢や社会の構造にも原因】であることも確かで有る事も認めますが【医の倫理感については】医療界に突きつけられた課題ではないでしょうか?その為、小泉内閣も【医療改革】も重大な改革の1ツとして取り組んでいらっしゃるではありませんか。但し、誤解して欲しくないのは小泉内閣は医療改革をするに当たり【良いとか・悪いとか】で取り組んでいないという点です。あくまでも【今の医療制度は時代に合わない・このままでは医療制度そのものが破たんする】という危機感から見なおしがなされているのです。痴呆の問題だって50年前誰が世界一の長寿大国になると予想したでしょう。人生50年~60年が当たり前から一挙に人生75年~85年と20数年も延びるとは誰も予測できなかったことです。今、痴呆の方にPEGを造設するのが良いのか・悪いのかと言う疑問点を持たれる方も沢山いらっしゃるでしょうが、現在、私達が進めているのはPEGの啓蒙活動です。従ってきちんとした【選択肢】が設けられています。PEGが最善と判断された場合は造設しますし、PEGが逆に悪さをする可能性がある場合は造設しません。私達が残念に念うのは【PEGが万能キットと勘違いあるいは誤解】されている点です。PEGは【栄養補給の為の選択肢の1ツ】であることは確かですが【PEGは万能】等どこにも書いてない筈です。医療行為には、結果が思わしくなければ必ずといっていいほど【こんな筈ではなかった】と犯人探しと言う奇妙な会話が交わされますが、それは【結果論にすぎません】【皆さんがこれで行こうと選択】された訳でしょう。後日必ず、責任の矛先を変えるような議論になりかねないのが常で【ご自分達が選択肢】されたのであれば、それはそれで【素直に受け入れていだきたい】と念います。【moemoe先生の見解には同感】です。私達はPEG造設を決して強制しておりせん。ましてや良いとか悪いとか等毛頭有りません。PEGの現状はただ【現状医療界で認知されはじめた】と言うことではないでしょうか?
少し生意気な文章になり【白浜先生には失礼をしたな~と反省】もいたしております。ごめんなさい。
終わりに、私の長男は数年前【腹部大動脈瘤の大手術】をおこない奇跡的に助かりました。彼は4年前【植物状態の妻(義理の姉)】の人口呼吸器を自らの判断で取り外しました。ですから現在は80歳で1人暮らしですが、心配ですから【月/1回:福岡】へ帰って身の回りの世話を致しております。兄は私の方が遥かに大病なのにわざわざ東京から福岡まで世話にやってくる弟の私に何故そこまで無理して世話してくれるのだ?と申し訳なさそうに言います。私の答えはただ1ツです【兄ちゃんが愛しい】からだよ。だから、エネルギーが残っていれば生きれるだけ生きて欲しいと答えるだけなんです。【兄はにっこり満足そうに笑って】うなずきました。恐らく私の励ましがなければ現在の兄の命はないでしょう。
それこそ【一期一会】の世界です。合掌三拝。



貴重なご意見有難うございます。   From 白浜雅司

PEGの経験豊富な、現場の先生方のコメント本当に有り難うございます。
医療界にやっと認知されつつあるPEGの推進に横やりをいれようで申し訳なかったのですが、あまりに一般の医者がPEGに対して過度の幻想を抱いているようで、あえて問題提起させていただきました。誠実に回答いただいたことに感謝します。

ただある程度のそのケースでPEGをした場合の予後の見通しの上に立って、PEGを勧めるかどうかを判断し、そのことを患者(家族)の意見も聞きながら決めていくことが、医師の仕事で、そのための事例やデータの蓄積は今後もお願いしたいです。全く中立の立場で、PEGはしてもしなくてもいいですよ、後は家族でお決め下さいといって家族に委ねられても、家族は困りますし、結局治療がうまくいかなければ、家族の方が同意されたでしょうといくらいっても、PEGのことを最初に持ち出した医師に不満をもたれることは避けられないことだと思います。

確かにPEGをするしないというよりも、まず、食べられなくなったということは、患者さんが、終末期に近づいたという認識をして、その状態の中でどのように周りの人間が対応することが患者にとってよいかを話し合うことが何より大切な気がします。

みっくんさんが述べられた「PEGを選択される方もされない方もいます.そのどちらであっても、選択した人生の方法をできる限り支えるという立場にたち、決して、決定そのものを代行してはいけないと思っています.本人の意思が確認できない時に家族が代行することの是非はあると思いますが、現状では家族以外が代行することは困難だと思います.どの選択を選ばれた方であっても、いい人生を全うされたと最後に思ってもらえるように関わりたいです.」という関わりをさせていただきたいと私も思います。

関連PDNレクチャー(医療従事者向け)

Chapter1 PEG 2.適応と禁忌